小江戸川越
江戸の勉強をして江戸歩きをしているうちに、もっと近くにも興味深い古い町があることに気づきました。
いままで何度も歩いたことのある川越を、みなさんにご紹介することで記憶に残しておこうと思います。
§川越歩き    小江戸川越散歩・2011
川越七福神めぐり 
妖怪ナイトツアー 
氷川神社風鈴回廊と光る川 
江戸検同期と小江戸川越探訪 
§一番街  
§新旧のお店紹介   鰻の名店
§川越の古墳 古谷古墳と舟塚古墳 
§神社  八坂神社(鯨井の万作)
氷川神社
 
§小江戸川越検定  
 
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 川越歩き
 小江戸川越散歩・2011
 
左上はくらづくり資料館。右は荻野銅鐵店(金物小売)。こんな風に全体が黒壁の蔵づくりになっているのが川越の商店の特徴なんです。川越の町のほとんどを焼き尽くした明治26年の大火のとき、一軒だけ焼け残った大沢家(中央写真)にならって蔵だけでなく、お店も土蔵づくりにするようになりました。江戸時代、江戸では粋とされていた黒壁の土蔵を真似して小江戸川越でも土蔵の壁は黒でした。 大正7年に建てられた第八十五国立銀行の本店。銀行の統合が繰り返され、現在は埼玉りそな銀行川越支店。蔵づくりの中では高層のビル。ルネサンス風の白壁の洋館はとてもきれいです 亀甲最中が美味しい亀屋さん。
本店の一画は美術館になっています。
ここの奥様は院長の高校の先輩です。
     
一番街の路地を入ったところにある行傳寺は日蓮宗のお寺。
真中の銅像はインドラホール美術館にある苦行中のシャカ像の原寸大のレプリカ。右隣の写真は境内の菩提樹。
法善寺の槍持ち奴瀬川嘉右衛門のお墓は片手に盃を持つこんな形。虫まで肴にして大酒を飲んだので「虫食い奴」と言われたそうで 川越を歩いた日は丁度出初式。市役所の駐車場には消防団員や消防車と見物人が集まっていました
     
川越市立博物館。スタッフの説明を聞きながらまわると解りやすいです。
喜多院の住職だった天海和尚の木像や 蔵づくりの建築法の展示があります(パンフより)
川越城が攻撃を受けた時、井戸のふたを外すと霧が噴き出し城を包み込んで守るのだそうです。川越城の別名は「霧隠れ城」です。 川越城を、正面からの攻撃から守るための「中の門堀」寛永年間、松平信綱の時に作られたと考えられています。
毎年10月に行われる「川越祭り」の川越祭り会館に入りました。常時二種類ほどの山車が展示されています。 そしてちょうど、お神楽の実演を見ることが出来ました。獅子舞、おかめ、ひょっとこの踊に見物の子供も大喜び 六塚神社は六軒町の山車が出るところ。近所の子供達が遊んでいる、なんてことはない普通の神社、なんですが社額が不思議。「六家社」と書いてあるように見えるけれど、よく見ると「六塚」+「示す偏」でできているんですね〜。
妙昌寺は川越七福神めぐりの七番、弁天さまのお寺です。 弁天堂には天女のこて絵がありました。 川越市駅の近くにある、パイとミルフィーユの専門カフェです 川越物産館「蔵里(クラリ)ではさつまいもアイスが美味しい
川越は、かつて江戸への物資輸送に欠かせない土地で、江戸からの文化がたくさん流入したところ。「小江戸」とよばれます。また、その政治的重要性から代々、譜代の大名が領主となり、老中や大老を数多く出したので「老中の城」と言われました。勿論、江戸時代以前にも古い歴史がある街で、大変面白いところです。
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2015年1月  川越七福神めぐりをしました。
一番・妙善寺・毘沙門天  二番・天然寺・寿老人 三番・喜多院・大黒天 四番・成田山・恵比寿
五番・蓮馨寺(れんけいじ)・福禄寿神 六番・見立寺・布袋尊 七番・妙昌寺・弁財天
 
 
 平成27年1月3日は快晴でした。川越駅出発!七つのお寺でご朱印とスタンプと、絵馬に貼るミニチュア七福神を集めます。  一番妙善寺は川越駅から徒歩5分ほど。ここで色紙と絵馬を買い、最初のご朱印と毘沙門天のご分体(ミニチュアの七福神。最下段の写真参照)を買いました。右はさつまいも伝来400年記念に作られたさつまいも地蔵尊  お寺の多い川越は緑も多い。
途中でメジロの夫婦を見つけました。ムクドリもみかけました。
   
 
   
 二番寿老人の天然寺までは11、2分。木造の寿老人さまはガラスケースに入っていてうまく撮影できませんでした  三番は喜多院の大黒天までは20分ほど。初詣の人込みの行列が山門の外まで伸びていました。三日はだるま市も開かれているので大混雑です。本殿のお参りはパスしました。 
   
 四番は成田山の恵比寿さま。喜多院のすぐ北側です。ここもなかなかの人出でした。 五番は蓮馨寺の福禄寿神。毎月8日は呑龍上人の縁日で賑わいます。観光目抜き通りの一番街に面したお寺です。  蓮馨寺から菓子屋横丁をぬけて見立寺に向かいます。
 
   
 
 見立寺の布袋尊は本堂の中でお姿が見えませんでした。ここには赤穂浪士最年少の矢頭右衛門七の妹のお墓がありました。川越で亡くなったそうです。  七番 弁財天は見立寺から10分ほど歩いて新河岸川のほとりにあります。昔は蛍の名所だったそうです。弁天堂の漆喰には富士、浦島太郎、そして弁天様のこて絵があります。  松江町にある栄養食配給所は旧川越織物市場の事務所。市場閉鎖後、市内の中小織物工場に栄養食を配給していた。
     
   
七福神絵馬。各寺でそれぞれのミニチュア七福神をいただいて好きなレイアウトで絵馬に貼りつけます。七福神のはいっていた小袋も可愛いんです。 
 
 最初のお寺で枠だけの色紙を買い、お寺ごとにご朱印を頂きます。全部埋まったときの達成感!
 記念スタンプも集めました。スタンプ用紙は川越七福神霊場会のページからプリントアウトして持って行きました。
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 妖怪ナイトツアー : 2014年8月 「喜多院の伝説 ・七不思議謎解きの旅」というイベントに参加しました
 このツアー、川越シルバーボランティアセンター観光グループの方達の企画。蛇や小判や人形をセットし、狸や泥棒に扮して参加者を楽しませてくれます。
   
 出だしはあいにくの雨。赤い服の方が今回のガイド、シルバーボランティアの佐藤さんです。6時ごろから歩き始めました。ここは最初のポイント、孝顕寺の小蛇の話  孝顕寺の寺男は働き者で、遊ぶこともせずお金を貯め続けて亡くなりました。そのうち小蛇が寺に出るようになり、庭を掘ったところ、小判が現れました。その後小蛇は姿を消しました  ここは南院跡。もともと無量寿寺には北・中・南院があり、その内の北院が現在の喜多院。中院は南院の南部に移転して存続していますが、南院は現在ありません。
 
 仙波東照宮の随身門。家康公は駿府で亡くなり、遺言で日光に葬られましたがその途中、天海僧正のいるここ喜多院で4日間の法要が行われ、仙波東照宮が建てられました。東照宮は久能山と川越と日光に三つあるのです。  ガイドさんによれば「あんたがたどこさ」の仙波山は川越の仙波なんだそうです。仙波東照宮に入るとその証拠に狸さんが出現。一緒に「川越仙波さ♪」と歌いました。 ある日喜多院に美しい娘が現れ「百日の間鐘を鳴らさないで」。住職は99日間鐘を撞かずにいましたが100日目に別の美女に鐘を撞くよう頼まれ、約束を破ったところ、女は龍に姿を変えて飛び去ったとか。今でも喜多院は山内禁鈴です。喜多院の鈴には玉が無いそうです。
     
 
 これは喜多院のオバケイチョウ。見る方向によって1本に見えたり2本に見えたり3本に見えたりするのです。イチョウは水を多く含むので火を防ぐといわれます。明治26年の川越大火の時鐘楼門↓が残ったのもこのイチョウのおかげなのではないかと言われています。   喜多院には11匹の龍がいますが、その一匹がこのイチョウにいます。
龍の顔に見えますか?
 
  川越一帯は数千年前までは海でした。ここに仙芳上人という方がお寺を作るため海の主龍神さまに衣の大きさだけの土地をねだりました。龍神さまが承知して上人が衣を広げるとなんと衣は数十里四方に広がり、龍神さまは「これでは私の住むところがない」というので、池を作り、龍神様の住処となったのが弁天池です。そしてこの弁天池と地下で繋がっているといわれているのが次に紹介する日枝神社の「底なし井戸」
 
 喜多院の鐘楼門内側には鷹が彫られています。リアルな彫刻は伝左甚五郎か?  表側には龍の彫刻。喜多院の龍はここに2匹、本殿に2匹、山門に2匹、客殿玄関に2匹・・・。
   これが底なし井戸  
 ここ日枝神社は近江の日吉(昔はヒエと読んだ)神社から分祀して作られました。太田道灌が江戸城を作ったとき、川越城の日枝神社を分祀して江戸の日枝神社が作られました。従ってここは赤坂の日枝神社の本社なのです。  喜多院の五百羅漢。闇夜に羅漢さまの頭をなでていくと、温かみを感じる羅漢様がある。その羅漢様に自分の上衣をかけ、次の朝に行ってみると自分の会いたい人の顔をしているのだそうです。  江戸時代、喜多院は幕府のご朱印地で川越藩の管轄外。この橋から一人の泥棒が逃げ込んだが、住職に諭され元三大師に帰依して真人間になり、許されて商家勤めをしたそうです。それでこの橋の名は「どろぼう橋」
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 氷川神社の夏のイベント:風鈴回廊と光る川 -2024.8.15-
 川越氷川神社は縁結びの神様ということで最近、若い女性に大人気です 7月から9月まで、境内には2000個の風鈴が飾られ、夜はライトアップされます  風が無いから手で鳴らす?右写真はかざぐるまの回廊です  そして夜になると、お庭の川(水は流れていない)が光るのです 
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 小江戸川越探訪 :私が計画を立てて江戸検同期のお仲間をガイドしました -2024.10.27-
本川越駅ー喜多院ーうな重の昼食ー時の鐘ー川越城本丸御殿ー川越城中ノ門跡ー大沢家住宅ー蔵造り一番街ー観光物産館蔵里 
(喜多院内で見学した所は:どろぼう橋・仙波東照宮・慈眼堂・歴代住職の墓所と暦応の古碑・慈恵堂(喜多院本堂)・松平大和守墓所・多宝塔・書院と客殿・五百羅漢・鐘楼門・山門)
 
まずは喜多院。「どろぼう橋」から入ります。境内は幕府寺社奉行の管轄。ここに逃げ込めば捕まらないのでこの橋は泥棒がよく渡ったのです 元和2年家康公の遺体が久能山から日光に移される途中、喜多院で天海僧正による4日間の法要が行われ、境内に東照宮が作られました 徳川3代に仕え108歳で没したという天海僧正を祀った慈眼堂。内部には死の2か月前に作られたという天海の木像が安置されています  慈眼堂横は歴代住職の墓所。ひときわ大きい天海僧正の墓石(左)。右は暦応5年(1342)造立「暦応(りゃくおう)の古碑」  本堂は慈恵大師(元三大師とも)、開山慈覚大師、中興尊海僧正を祀る慈恵堂。「潮音殿」の額は耳を澄ますと潮の音が聞こえるという逸話から 慈恵堂の西側に、明和4年から慶応2年まで川越藩主だった松平大和守家の墓所があります。7代100年間に死去した5人の藩主が葬られました
寛永15年の大火で喜多院が焼失した時、家光が江戸城の部材を送り建物再建を助けたので、家光誕生の間や春日局化粧の間が残ります  川越北田島の内田善右衛門(志誠・しじょう)が、天明2年発願して五百羅漢彫刻開始。遺志は引き継がれ、文政8年現在の538体となりました 山門と↑の鐘楼門は焼失を免れた慶長期の建造物です。鐘楼門の鷹の彫刻は左甚五郎作と伝えられ、そのリアルさに鳩も近づかないとか  喜多院を出て蔵造りの街並みの一番街にある「傳米」でうな重をいただきました。店も通りも人と車でいっぱい  昼食後は川越のシンボル、時の鐘の通りを東へ。「ウォーターボーイズ」のモデル名門川越高校を通って川越城本丸御殿へ 江戸期建造の本丸御殿が残るのはここと高知城のみ。貴重な建造物ですが、戦後の一時期学校として使われていました 
廊下や大広間が中学校の雨天体操場だった時の痕跡が、天井のボール跡として残っています。↑の写真は家老の間に置かれた人形  本丸御殿から札ノ辻に向かう途中にある復元された中ノ門跡と中ノ門堀。本丸側(左)の斜面は急です。松平信綱が作ったと言われています  明治26年の川越大火で街の3分の1が焼けた時、↑大沢家のみは蔵造りだった店と住居が無事でした。以後、この通りは蔵造りの街並みに 大正7年、第八十五銀行本店として建てられ平成31年まで埼玉りそな銀行として使われていた↑の建物は今年観光施設「小江戸テラス」となりました 一番街から大正ロマン通りを南下し川越駅方面に向かう途中、旧鏡山酒造の蔵を利用した観光物産館「蔵里」があります。川越土産がたくさん  1万6千歩も歩きました。蔵里のカフェで、コーヒーブレイク。↑はスイートポテトのような食感のさつまいもプリン。 
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 町並み紹介
メインストリート一番街
 
 川越といえば「時の鐘」メインストリート一番街からちょっと入ったところにあります。この道は電信柱無しです 埼玉りそなの建物に、令和6年3月から入れるようになりました。カフェやレストラン、名産品もあります 一番街は観光客でにぎわっていますが、この道路は市民の生活道路でもあり、産業道路でもあり。車に注意です! 
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 お店紹介
新旧のお店 (これからいろいろアップする予定です)
蔵里(クラリ)
川越のおみやげを買うならなら蔵里へ。
旧鏡山酒造の蔵を利用した物産館です。
 
 
明治蔵、大正蔵、昭和蔵それぞれがおみやげ処やレストランになっています  ここは明治蔵のおみやげ処。
お菓子、漬物から唐桟織の小物まで名産品がいっぱい
 おみやげ処の奥にある喫茶コーナー。お勧めはCOEDOビールや芋アイス、芋プリンなど
パイの樹 
西武線本川越駅と東上線川越市駅の間にあるパイの樹は、ミルフィーユとパイの専門店 



  ★残念!本川越駅と川越市駅をつなぐ新しい道ができたら、「パイの樹」を通る人が激減。心配していましたが、案の定閉店してしまいました
このお店時々クマさんが爆睡しています。
 この「さくさくミルフィーユ」は注文してから果物とクリームを挟んでくれます。そしてお持ち帰りは無し。すぐにいただかないと食感が落ちるから。  他のケーキも美味しいんです。
午年のショートケーキやバナナミルフィーユ、洋ナシのパイなどは持って帰れます。
太陽軒 
老舗の洋食屋さん。
建物は国登録有形文化財に指定されています。
 
昭和4年当時の外観と内装が残っています。大正ロマンの雰囲気です。  ランチの「モダン洋食セット 」は¥2500。オードブル、特大エビフライ、カツレツ、ホワイトシチュー、トマト風味のポトフ、野菜、アイスクリン、コーヒー。プラス\400でエビフライを3本にできますが、これで十分でした。
風凛
和食創作料理のお店
大正4年建造の仕舞屋の内装を改築したお料理屋さん
一番街に面した狭い路地を入ります 
手入れの行き届いたお庭を眺めながらのお食事ができます 
 知らないと通り過ぎてしまいそうな狭い路地の入り口(左)を入ると暖簾のかかっている玄関、その奥にお庭。
 新牛蒡の白和え。山芋のきんぴら、蛸、もずく。パプリカの茶碗蒸し。鮎の照り焼き。握りずし。あん肝の手巻きずし。この他お刺身も。最後のデザートも付きました。
川越といえば です
 小川菊(おがぎく)
    創業は文化4年(1807)。2014年リニューアルして席数は3倍くらいに。川越で唯一の木造三階建て 、大正ロマン通りにあります。味は折り紙付き。
特/上/並のうな重はそれぞれ\6250/\4750/\3900
いちのや     有名なお店で、中は広く、席数が多いので予約もとりやすく、日曜日に行って並んでも1時間以内で入れる。
けど・・・うーん。
写真は\4300のうな重です。
ここが御贔屓という人もいますが・・。
小川藤(おがとう)   
小川菊と並ぶ老舗です。
間違いなくとても美味しい鰻が食べられます。写真は「うな丼」\2100。
うな重は松/竹/梅がそれぞれ
¥4800/\3700/\2600。
味の差ではなく、鰻が何切れかの問題です。私はこのほかに冷ややっこも注文しました。
徳川     ここはとてもお安い。うな重上が\4510、並が\3300、ミニうな重が\1980で、写真はミニうな重。小鉢が三つ付いて、このあとデザートもついていました。
味は、そうだなあ・・・ごはんが柔らかいし、タレも・・
傳米 (でんべい)    「林屋」という、人気店の姉妹店。一番街にあり、奥のいす席は藏の中です。
味は良かった!タレもご飯もとても美味しい。
写真は普通の鰻のうな重で\4400。「坂東太郎」というブランド鰻のうな重は\8000。
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 川越の古墳
 古谷古墳
古谷神社は伊佐沼の近くにあります。埼玉には古墳の上に建っている神社が多いので、古谷古墳として紹介されています。 こんもりした 盛り土の上に本殿があるので古墳っぽいのですが、説明板によれば、発掘調査が行われたことはないのではっきりしないそうです。ただ、この近くからは土器や銅鐸が出土しており、古墳時代に栄えた土地であったことは確かなようです。 
 舟塚古墳
入間川左岸にある円墳。6世紀後半のものと考えられます。鉄製の馬具、鉄環、直刀などが出土しているそうです。学校建設の為大部分が削られたとのことですが、結局学校は建てられていません。
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 神社
 鯨井の八坂神社
八坂神社は鯨井地区の神社。埼玉なのに鯨?昔は久次郎居だったらしい。天王祭では「鯨井の万作踊り」が行われます。もともとは観音寺というお寺でした。 この木は「鯨井のヒイラギ」。かなりの古木で中が空洞となっています。移植前は10mほどもあった珍しいヒイラギの大樹です。建物は観音寺時代の薬師如来堂。  「鯨井の万作」は無形民俗文化財に指定されています。獅子舞も有名。  この石碑は道祖神らしいのですが、三匹の蛙の足みたいなバッテン模様です。
 
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氷川神社・熊野神社・三芳野神社   そのうちアップします
 
小江戸川越検定 
平成25年度「小江戸川越検定試験3級に合格しました。(現在は検定が無くなってしまいました))
試験日は2月17日、試験場は東京国際大学キャンパス
これが合格証です。
合格率は65.5%でした
東上線霞ヶ関駅徒歩3分 いいお天気! 3級なら簡単なはず?
 
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