2015.6.25~6.28 |
小倉駅 6.25~28 |
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「銀河鉄道999」の作者松本零士氏は福岡県久留米市の出身で、小倉南高校在学中に 早くも才能を認められました。それで小倉駅のデッキにはには左からメーテル、鉄郎、キャプテンハーロックの銅像があるのです。 |
そして小倉の繁華街を走るモノレール。運が良いとこんなラッピング列車に乗ることができます。 |
小倉駅の天井はまんなかのあかり取りの周囲を 太いチューブが取り囲んでいてまるで宇宙船みたい。 |
北九州市は高度成長期の公害を一掃したエコのモデル都市。ゆるキャラのていたん(低炭素社会を目指します)とブラックていたん。 |
宇佐神宮 6.25 |
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宇佐まではJRで。上の写真左は普通列車。右は特急ソニック号。下の写真は途中の中津駅の「日本一長~いハモの椅子」 |
宇佐は「USA」なんですね。
ちょっとハリウッド風の大きな看板が宇佐駅ホームから見えました。 |
宇佐神宮は全国に4万社余りある八幡宮の総本宮です。和気清麻呂が道鏡と対立する原因となった御神託を受けた神社でもあります。 |
左から、八幡大神応神天皇御鎮座の一之御殿、比売大神御鎮座の二之御殿、 神功皇后御鎮座の三之御殿 |
ご本殿は国宝です。二棟の切妻屋根が並ぶ珍しいかたち。でもこの写真は絵葉書、実際は御殿の横から屋根が少し見えるだけです。 |
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夏越の大祓。「茅の輪守り」をいただくことができるのは6月末~8月末限定、数量も限定です。 |
寄茂川にかかる「呉橋」は入母屋の屋根の付いた珍しい橋。川のほとりには熊本高校講師時代の漱石がよんだ俳句が並んでいます |
境内で見つけた郵便ポストの頭に「呉橋」 の写真が貼り付けてありました。 |
国宝館の前ででんと座っているマガモがいました。まもなくマガモの家族が現れ、つがいのカモはなかよく散歩を始めました |
明治24年ドイツクラウス社製の26号蒸気機関車。九州鉄道の車両大型化に伴い、宇佐参宮線に導入され、大正5年まで走っていました。 |
小倉城(八坂神社・小倉城・小倉城庭園・松本清張記念館)ーここからは北九州出身のお友達が2日間案内してくれました。 6.26 |
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八坂神社にわたる橋。お濠を隔てた向かい側に派手な色の商業ビル。最初は相当反対があったそうです。 |
八坂神社はもとは祇園社と呼ばれていました。ご祭神はスサノオノミコト。小倉城主細川忠興公鷹狩の折に小祠のご神体を覗こうとして 鷹に蹴られて目に傷を負い、非礼をわびて立派な社殿を建てたそうです。それで目も快癒したとのこと。 |
手水にはフクロウ(神使のアオバズクかな?)。
そして境内の末社猿田彦神社の狛犬は可愛いたれ耳 |
楼門の扁額には「豊前総鎮守」と書かれています。7月には400年の歴史を持つ祇園祭が行われます。 |
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あいにくの雨模様ですが、お濠と石垣と天守。とても立派なお城です。右下はマスコットキャラの「とらっちゃ」。なぜかというと・・・・→ |
これがあるからです
左が「迎え虎」右が「送り虎」。長州藩に攻められお城が焼失した慶応2年寅年に因んで昭和35~36年に描かれたもの |
城内は、大人から子供まで楽しみながら小倉の歴史がわかる様にいろいろなアイテムがあります。これは江戸時代の生活を再現したジオラマ |
お殿様が乗る駕籠(揺れます)にも乗れます。この他小倉の名物を説明する人形や映像、島原の乱の作戦会議などのアトラクションがあります。 |
天守閣に上がると小倉の町が一望できます。眼下には小倉城庭園、背後は紫川。その向こうは繁華街や小倉駅方面です。 |
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天守からしゃちほこの顔が見えました。 |
回遊式の小倉城庭園。この池はもとは汐入の池だったそうです。書院の広縁は「懸け造り」になっています。 |
書院の中も拝見できます。館員の女性が案内してくれました。欄間の格子をずらすと夏仕様になる優れもの構造 |
城郭内には小倉出身の巨匠松本清張の記念館があります。推理小説 好きの私、若い頃は読みふけったものです |
松本清張に関する様々な資料展示の他、彼の家の応接間や書物室、書斎も再現されていました。 |
紫川と水環境館 |
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この川は紫川という美しい名前の川。昭和30年代には工場排水で汚れていたというのが信じられないような、名前の通り美しい川です |
川のほとりに「水環境館」という地下に降りる階段があります。川の中が見える、天然の魚の水族館 なのです。 |
紫川の断面です。この辺りは小倉港の河口 に近いので汽水川です。上半分の黄色がかったところは真水、下が海水です |
あいにくの雨で水が濁っていましたが、それでもスズキやクロダイなどを見ることが出来ました。クサフグ、アメフラシなども見られるそうです。 |
外に出て振り返ると、ピカピカの北九州市の市役所の壁面にお隣の小倉城が映し出されていました。 |
門司から下関・唐戸市場へ 6.27 |
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門司港駅は鹿児島本線の起点の駅です。開設されたのは大正3年 |
昔の駅長さんのコスチュームを着て記念写真を撮ることができます。 お友達とやっちゃいました。 |
終戦後、引き揚げや復員の人々が祖国に着いてほっとして飲んだという「帰り水」 |
門司港から船で下関に向かいます。ほんの5分ほどで下関港 に着くのです |
関門橋をくぐっていきます。この写真には写っていませんが漁船や観光船などで関門海峡は大混雑でした。 |
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下関といえば河豚。地元の方々は「フグ」 と濁らず、「フク」といいます。福ですよね。 |
で、ここが関門海峡の新鮮な魚がいっぱいの「唐戸市場」。近くの人も観光客にも人気。 大変なにぎわいです。
それは・・→ |
河豚や鯛の刺身、鯨、蟹 、水産加工品が並び、100円鮨や海鮮丼を売っていて二階のテーブル席で安価で食べることができるのです。 |
でも私たちは二階の回転ずしに席を取りました。いつもは大混雑だそうですがお天気が悪かったせいか奇跡的にすぐ入れました |
左上:車海老、右上:鯨のベーコン、左下:さざえ、右下:鯨のさえずり(タン) 他にも河豚とか、関東の回転ずしには無いものばかり頂きました。 |
下関の神社 亀山八幡宮と赤間神社 |
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亀山八幡宮は「関の氏神さま」と親しまれている、下関の総鎮守。馬関戦争で死者が出なかったので「矢除八幡」とも。 |
これは「日本一のふくの像」。古くはここは島だったそうで、その周りを埋め立てて 馬関(下関の旧称)の町ができました |
馬関の町を作る為、人柱となり海底に消えた「お亀さん」を称え、至る所に亀さんがいました。 |
伊藤博文が亀山八幡宮で刺客に襲われた時、お亀茶屋の木田梅子に助けられ、後に二人は結婚しました。↑茶屋跡 |
下関の海を見下ろす高台。文久3年久坂玄瑞の指揮で馬関戦争の火ぶたが切られたのはここ亀山砲台からでした。 |
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赤間神宮には竜宮城みたいな門があります。 源平壇ノ浦の戦いで、幼い安徳天皇を抱いた祖母二位の尼が「海の底にある都に参りましょう」と言って飛び込んだ、という平家物語の一節に因みます。この時安徳天皇の母徳子(後の建礼門院。京都大原寂光院に入寺)をはじめ多くの女性たちが源氏方に掬い上げられ生還しました。多くの女官たちは生活のために遊女となりましたが、安徳天皇のため、毎年手厚い法要を忘れませんでした。現在も5月に花魁姿の女官がお参り道中をする「先帝祭」が行われます。 |
平家一門の墓。
赤間神宮の隣には西日本唯一の御陵である、安徳天皇阿弥陀寺陵があります。 |
赤間神宮はもとは「阿弥陀寺」というお寺。ここに住んでいた琵琶の名手、芳一 の話は小泉八雲の「耳なし芳一」であまりにも有名です。 |
下関の水族館 「海響館 」 |
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下関の水族館「海響館」に入りました。イルカのモニュメントのあるきれいな水族館 |
イワシの群れが渦を作ってとてもきれい。その中をエイがゆうゆう泳いで行きます。 |
これ何の魚かなあ?体が黒くて背びれと胸びれが透き通っていてきれいなので |
見事な桜鯛。見ている人たちも思わず「うまそう」・・・だめですよ! |
天然記念物のカブトガニ。動きも面白いです。北九州にもいるらしい。 |
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さすが下関。日本だけでなく、世界中の100種類もの河豚が飼育されています。 |
で、河豚って、正面から見ると実に可愛い顔をしているんですよね。 |
クラゲも沢山展示されていました。透明で美しく、泳ぎ方も優雅なので人気です |
ゴマフアザラシはひょうきんもの。こんな風に顔だけ水面に出して立って浮いていました。 |
トンネル状の水槽をくぐると、ペンギンが空を飛びます!さーっと泡がたってきれいです。 |
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屋外の「ペンギンふれあい広場」にいるのはフンボルトペンギンのファミリー |
哲雄先生が指を動かすと、子供のペンギンが合わせて泳ぎます。遊んでくれるんです。 |
山口県は昔からクジラ漁で有名です。クジラの小さいものをイルカといいます。 |
ここはフランシスコ・ザビエル 上陸の地だそうです。イエズス会のエンブレム付石碑 |
巌流島上陸つき遊覧船が出ています。武蔵と小次郎の衣装で呼び込み中のお兄さんたち |
門司港周辺 |
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下関から舟で戻って、お友達が連れて行ってくれたのが「門司港地ビール工房 」 |
出来立ての地ビールが飲めます。でも「門司港驛ビール」は残念ながら売り切れでした。 |
そしてここの名物が石窯焼きのピザ。みんなで分ければおやつにちょうど良い! |
窓際の最上席でピザを食べていたら、あ!今渡ってきた橋が動き始めました!! |
跳ね橋が上がって下を観光船が通っていきました。上がらなくても通れる高さでしたが(笑) |
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門司には明治・大正期に建てられた洋館が多く残っています。これは三井物産の接客・宿泊施設として建てられた旧門司三井倶楽部。 |
大正11年にはアインシュタイン博士夫妻が宿泊。アインシュタインのサインも残されていました。門司生まれの作家林芙美子の資料室もあります。 |
旧門司港税関。明治45年に建てられたもの。昭和初期まで税関庁舎として使われていたそうです。 |
旧門司港税関の内部。二階は美術ギャラリーになっていて、この日は写真コンテストの会場になっていました。 |
旧大阪商船。大正6年に建てられた大阪商船門司支店を修復したもので、やはりギャラリーやカフェなどが入っています。 |
博多の夜 6.27 |
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博多はちょうど 山笠の時期だったので商店街に出番を待つ「やま」や「かざりやま」が置いてありました。「作成中」の札がついているものもありましたが、大きくて見事なやまばかり。 |
博多祇園山笠は博多の総鎮守 櫛田神社のお祭り。スサノオの命に対する氏子の奉納神事です。 |
このお城みたいな料亭の おかみさんは、長谷川法世の漫画「博多っ子純情」のヒロインのモデルらしいです |
商店街のアーケードに下がっている博多弁番付。「えずい」は「コワイ」、「ねずむ」は 「つねる」なんですって! |
太宰府天満宮 6.28 |
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太宰府天満宮駅を降りるとすぐ参道。両側に、梅が枝餅や天神様にまつわるお土産のお店が並んでいます。 |
日曜日は、受験生のお参りも多いし、観光客も 押しかけます。韓国の団体も多いみたいです。 |
赤い太鼓橋は神様がお渡りになる「ご神橋」です。参拝者は、ここを渡ることによって浄められるのです。 |
ご本殿は桃山時代の建築で、重要文化財です。学問の神様にあやかろうとお参りする参拝客たち(私もその一人) |
太宰府に左遷された菅原道真公を慕って京都から飛んできたという「飛梅」。ここのご神木です。 |
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菅原道真公は野見宿禰の子孫なんです。大麻毛早に勝った野見宿禰は土師氏を名乗り桓武天皇に仕え、その子孫が菅原姓を名乗ったとか。 |
これは「夫婦樟(めおとぐす)」右の小っちゃいのとペアなのかな? |
名物梅が枝餅。屋外に腰かけてお抹茶セットを頼んだらお懐紙に紫陽花が乗っていました。焼きたては美味! |
道真公のご遺骸を安楽寺に運ぶ途中、突如牛が動かなくなったので、これは故人の遺志であろうと、ここに天満宮を建てたのです。 |
太宰府天満宮は、博多から西鉄に乗り二日市で乗り換えるのですが、一日数本、こんなラッピング列車が走っています |